それはともかく

アニメや映画を観て感じた事など

ウテナ考察:「棺」について

以下はオカルト混じりのかなり飛躍した考察になります。あくまで一つの考え方としてご理解の上、お読みいただけるようお願いします。

 

 

 

 両親を亡くし絶望したウテナは棺に入っています。

幼いウテナ曰く

「隣に棺が並んでるでしょ。お父さんとお母さん、今日死んじゃったの。でね、棺が一個余ってたの。これってきっとあたしの分なの。」

との事ですが、もう少し想像を広げてみます。

 

あの時点のウテナは両親と同じく故人だったのではないでしょうか?

 

そもそも「天上ウテナ」という人物はどんな生い立ちだったのでしょうか。

両親を事故で亡くし、教会でディオスとアンシーに出会い、その後は?

鳳学園に来る以前は誰とどんな生活をしていたのか、という事です。

例えば、親戚に引き取られ幼少期を過ごし…、だとか、施設に引き取られ…、だとか。あの豪華な学園に入学するにはそれなりの経済力を持つ支援者がいると思われますが不明です。ウテナはアンシーと共に幹に勉強を教えてもらっているほどなので、成績優良者とも思えません。スポーツは万能ですが、特定の部活には所属していません。スポーツでの優遇を得られたとも考え難い。

「天上ウテナ」というキャラクターのバックボーンが不明なのです。

 

「親」の不透明はウテナに限りません。

鳳学園は全寮制の学校のようですが、初等部の石蕗までもが寮に住んでいる事にまず違和感を感じます。

冬芽と七実には富豪らしき両親がいますが主に過去回想シーンのみの登場で、顔は黒塗りです。直接ストーリーにも絡んではいません。

樹璃も庭に噴水があるほどの豪華な屋敷(又は寮?)に住んでいるようですが、両親の姿はありません。お手伝いさんですら登場しません。

唯一、幹と梢は両親の離婚の件で父親らしき人物が登場しますが、電話を通して会話するのみで、描写されるのは後ろ姿です。傍には真っ赤なドレスを着たアンシーがいます。何らかの作為を感じさせます。

何よりも、退学処分を受けた西園寺が「行き場を無くした」と若葉の寮に身を寄せている事に大きな疑問を感じます。未成年ならば通常は実家、保護者の元に帰るのが自然と思われますが、まるで帰るべき場所が存在しないかのようです。

キャラクター達の「親・保護者・大人」の存在が徹底的にボカされているのです。

物語上、必要の無い描写を省いたとも考えられますが、これは意図的に描写していないと考えるのが自然ではないでしょうか。

 

そしてボカされているのは、親の存在だけではありません。

 

物語が進むにつれ、違和感を感じなかったでしょうか。

「物語の舞台が、ほぼ鳳学園の中だけで完結している」点です。

学園の外部の描写が極端に少ないのです。

物語前半「七実の卵」や「若葉繁れる」では学園からの帰り道に若葉や七実がそれぞれ街中を歩くシーンがありますが、ウテナがアンシーと共に理事長室の一室に移り住む物語中盤以降はそれらも無くなります。ある種の息苦しさ、閉塞感すら感じます。

唯一、暁生だけが暁生カーで「外界」を自由に行き来しますが、その背景は延々と続く平坦な闇の中です。現実感がありません。

 

これらの事象も、学園の外が描写されないのではなく、学園の中しか存在しない事を示唆しているのではないでしょうか。

 

 

 

飛躍します。

鳳学園は転生前の魂が集う場所、生と死の狭間の世界であり、生徒らは産まれてくる事を逡巡している魂だったのではないでしょうか?

 

キャラクター達が現世と隔絶された学園内に魂だけで存在しているとすれば、肉親が存在しない事は不自然ではありません。また、「世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく」「我らは棺の中にいる。彼女もまた、棺の中にいる」これらの台詞も物語を彩る暗喩ではなく、そのものズバリの直喩だったとは考えられないでしょうか。

考察「その1」にて、鳳学園内は時間の遅延によってほぼ時が止まっている としましたが、生と死の狭間の世界であるとすれば、時間という概念自体が存在しないという事も考えられます。

以上の事から、

  • 学園 = 魂の待機場所
  • 学園を去る = 生まれ変わり、新たな誕生

という仮説を立てた上で、最終話での棺の中のアンシーとウテナが交わした会話を考えてみます。

 

「君を助けに来たんだ。君に会うために、ボクはここまで来たんだ。だから、君とボクの出会う、この世界をどうか恐れないで」

 

2人とも幼い声である事から、ウテナがディオスに導かれアンシーと出会った時に交わした会話とも考えられますが、そうすると当時2人は初対面である事から 君に会うためにここまで来たんだ の部分の辻褄が合いません。

これは「ウテナ」「アンシー」というキャラクターとしてのセリフではなく、2人の「素」の会話、魂と魂の対話だったのではないでしょうか。

そして

 

君とボクの出会う、この世界をどうか恐れないで

 

『この世界』とは、やがて産まれ、生きて行く現世・現実世界のことではないでしょうか。

 

 

 

両親の葬儀で棺の中にいるウテナと冬芽・西園寺の交わす会話シーン。

 

ウテナ:開けないで!お願い、開けないで。

西園寺:こんなところに隠れてたのか。

冬芽:みんなが君のことを探しているよ。

ウテナ:ここにいること誰かに話した?

冬芽:いや。誰にも言わないよ。

西園寺:おい!

冬芽:オレはいつでも女の子の味方さ。フェミニストだからね。

西園寺:でもどうしてこんなところに隠れているんだい?

ウテナ:ここがあたしの場所だから。

西園寺:どういうこと?

ウテナ:隣に棺が並んでるでしょ。お父さんとお母さん、今日死んじゃったの。でね、棺が一個余ってたの。これってきっとあたしの分なの。生きてるのって、なんか気持ち悪いよね。

冬芽:そう?

ウテナ:そう。気持ち悪いよ。どうせ死んじゃうのになんでみんな生きてるんだろう。なんで今日までそのことに気付かなかったんだろう。永遠のものなんて、あるわけないのにね。

西園寺:永遠のもの?

ウテナ:だから、もういいの。私はこの棺から出ないの。

西園寺:でも、そのうち誰かに見つかっちゃうよ。

ウテナ:そしたらまた別の棺に隠れるわ。もう誰にも会わないの。お日さまの下にももう出ないの。

 

痛々しい程の生への拒絶です。ウテナは両親の死という悲しみのあまり「生きること」自体を否定してしまいました。

生きていてもいつか死んじゃうなら、もう生きなくていい。何も変わらない、不変のもの、永遠のものなんかあるはずがない。

 

そして幼いウテナはディオスにあるはずのない『永遠』を見せられます。その正体は「永遠に苦しみ続けるアンシーの姿」でした。

アンシーを苦しみから解放したい、と決意しウテナは棺を出ます。アンシー、そしてディオスとの出会いによってウテナは救われます。

 

ウテナ「姫宮!やっと会えた…!」

 

最終話のウテナは、棺の中にいるアンシーにかつての自分の姿を見ていたのではないでしょうか。

 

「君を助けに来たんだ。君に会うために、ボクはここまで来たんだ。だから、君とボクの出会う、この世界をどうか恐れないで」

 

ウテナの「アンシーを助ける」という決意は、鳳学園と暁生からの解放という意味だけではなく、生きるという事を恐れないで欲しいという願いも込められていたのではないでしょうか。

 

 

最終話、学園を去るアンシーの発言。

アンシー「今度は私が行くから 必ず見つけるから 待っててね ウテナ

必ず見つける、という確かな自信は再会の約束を果たしに行く、と考えられます。

 

ウテナ「ねえ、もし君に何か困ったことがあったら、まずボクに話してよ。何でも助け合おうよ。君とは、そういう友達になりたいんだ。

そして、いつか一緒に…」

 

 

お互いが棺の中に居たままでは出会う事はできないけれど、棺から出て産まれる事ができたら。

生きてさえいれば、いつかは必ず出会う事ができる。

そして、いつか一緒にお日さまの下で再会し、輝いた生を謳歌しよう。

 

2人はそんな約束を交わしたのではないでしょうか。

 

 

 

 

考察:20年経って考える「少女革命ウテナ」その3

 キャラクター考察編その3

 

薫幹・薫梢 「私たちは野生動物だもんね」

ミッキーこと薫幹は生徒会でも中立的な感覚の持ち主であり、ウテナに対し友好的な立場の人物です。アンシーを薔薇の花嫁とする学園の決闘ゲーム疑問を抱き、生徒会で異議を申し立てたりもしました。しかし、アンシーの弾くピアノが幹が求めていた『妹と同じ音色』である事に気付き、次第にアンシーへの想いを募らせます。

冬芽「エンゲージした者だけが花嫁を思うがままにできるんだからな」

幹「…思うがまま…」

恋は人を狂わせます。アンシーへの恋心を自覚した幹は冬芽に煽られるまま、ウテナと最初の決闘に至ります。そして敗北。

ラストシーン。幹の求めていた音色は、妹の梢によるものではなく幹のフォローあってのものだったことが明かされます。

26話「幹の巣箱(光さす庭・アレンジ)」。鳥の巣を助けようとして怪我をした梢を背負う幹、荷物持ちで共に寮へ赴くウテナとアンシー。鳥の雛について親密に話す幹とアンシーを見て何かを思う梢は、あしながおじさん(勿論暁生です)と待ち合わせの後、幹と共に暁生カーでのドライブを経験します。(ドライブの意味する事が鳳学園の真実、ネタバラシである事は『その1』に記しました)

そして幹は梢を花嫁とし、幹自身のための革命、存在意義を賭けた最後の決闘に赴きます。しかし決闘の最中、いつの間にか暁生カーに梢とアンシー、2人の花嫁が乗り込んでいる事に気を取られる幹。

 幹「梢!?何をしてるんだ、梢!?」

梢「よそ見してるとやられちゃうよ」

梢を気にかけた一瞬の隙を突かれ、幹はウテナに敗北しました。

翌日、巣箱を見つめる幹に対し梢は「いくじなし」と言い放ちます。

 

 

・幹の求めていたもの 

4話「光さす庭・プレリュード」冒頭、数学のテストに関してウテナと若葉が話すシーン。

若葉「でもママが言ってたよ、論理的な事は全て男に押しつけるのがいい女だって」

この若葉のセリフは「論理的=男性=幹、感情的=女性=梢」という対比の暗喩だと考えられます。幹は秀才です。幹は物事を論理的に考え、行動を起こします。

 妹の音色 = 同じ音色を奏でるアンシー = 『輝くもの』。

だからアンシーを手に入れる。

 しかしこの「論理的思考」こそが幹の欠点でもあるのです。幹は自分が真に求めているものが何なのか、論理的思考が邪魔をして自覚できずにいるのではないでしょうか。

「光さす庭」というピアノ曲は幼少期の幹と梢の連弾によるものでしたが、梢がでたらめに弾いていたのを幹がフォローしていたからこそ成り立った曲でした。梢に幹のような特別な才能があったわけではないのです。幹の求めている『妹の音色』は、初めから存在しないものでした。

その事実は、現在の梢とピアノを弾いてみれば明らかになるはず。ですが「ねえ、また私と(ピアノ)してみたい?」と誘われても、幹は「お前なんかに何も期待していないさ」と断ります。

ピアノを弾くこともなくなり、沢山のボーイフレンドを作る現在の梢に幹は失望しています。(もしくは、梢が本当はピアノが弾けないという事実を認めたくないのかもしれません)

 ウテナに敗北した幹は呟きます。

幹「どうして誰も輝くものになってくれないんだ…誰も…」

どうして誰も輝くものになってくれないんだ。「輝くもの」が無いなら代わりを手に入れる。幹は妹の代替を求めていました。幹のアンシーへの想いは、梢との美しい思い出を投影したものでした。

幹「彼女は、姫宮先輩は、僕の知っている女の子に似ているんです。それだけです。」

幹が求めていたのは「妹とピアノを弾いた美しい思い出そのもの」「梢本人」だったのではないでしょうか。

 

●梢の幹への想い

梢の幹への想いは複雑なものでした。15話黒薔薇編で梢は沢山のボーイフレンドと自由な恋愛を楽しむ反面、幹に近づく人物に対し敵対心を抱きます。音楽教師を突き飛ばしたりなど過激な行動にも走ります。

そしてその心境を御影のカウンセリングで吐露します。

梢「私が怪我したり汚れたりすると幹は心の中でとっても傷つくの 私の事で心がいっぱいになるの だから私いつも幹が嫌がるような相手とわざと付き合うの」

梢は不器用な方法で幹の気を惹こうとしていました。双子は魂の片割れと言うように、絆で結ばれていました。反発しながらも幹を求めていたのです。

黒薔薇のデュエリストとしての決闘を終えた梢は、幹に「ミルクセーキ作って」とねだります。本来の梢は、素直に甘える事ができる妹でした。

 

 ●梢の献身

26話で注目すべきは、梢の心境が以前とは大きく変化している点です。

梢は親密に話す幹とアンシーを見て「せっかくあなたが来てるんだもの かわいい妹は気を効かせて消えるわ ごゆっくり」席を外します。15話で幹とピアノを弾くアンシーに敵意を抱いていた時とは大違いです。黒薔薇編で「みんな消えてなくなれ!私と幹以外は全て醜いんだから!」と剥き出しにした幹への執着はもう感じられません。黒薔薇編の戦いで黒い感情を浄化した梢は、もう幼稚な方法で幹の気を惹こうとはしません。

愛するアンシーを想いながら「光さす庭」を弾く幹の演奏を聴き何かを思う梢は「あしながおじさん」と待ち合わせした後、幹を暁生カーに誘いました。

あしながおじさん」。とある資産家が身寄りを無くし孤児院で育つ少女に資金を援助するというおなじみの童話です。なんとも美談ですが、相手はあの暁生です。ここは少し邪推してみる必要があると思います。

あの暁生が何の見返りもなく他人を助けるか?何らかの取引があったと考えるのが自然ではないか?

梢は、幹を決闘に向かわせ世界を革命する力を手に入れるチャンスを与える事と引き換えに、自分の身体を暁生に差し出したのでは無いでしょうか。

梢「周りが全部汚れてたら 自分も汚れるしかないじゃない 自分も汚れて欲しいものを手に入れるしかないのよ」

暁生カーでの梢の制服は乱れ、胸元があらわになっています。事後の雰囲気を感じさせます。

心優しく常識的な幹には、他のデュエリスト達のように決闘に向かうほどの闘争心はありません。このままでは幹はいつまでたっても世界を革命できない。それを案じた梢は、自分が「輝くもの」になれない代わりに、嫌悪していた大人に頼り自分の身体を捧げてでも幹の革命を支援しようとしたのではないでしょうか。

 

決闘中、幹は梢とアンシーというとても良く似た2人の花嫁に気をとられます。

・梢「よそ見してるとやられちゃうよ」

よそ見をするな。幹が求めているのがアンシーなら、私に構わずアンシーだけを求めて闘わなければ、本当に欲しいものは手に入らない。

「輝くもの」「妹の音色」なんてものは存在しないし、「光さす庭」は今は荒れ果てている。いつまでも綺麗な思い出に囚われていては前に進めない。

 

梢「私は幹の幸せを祈ってるよ 私はいつも自分の気持ちに素直なだけ 嘘はつかないわ 信用できない?」

 

梢は、早熟でシニカルで不器用な梢らしいやり方で、幹の革命に献身したのです。

 

  ・「いくじなし」

鳥の巣箱と雛。これらは「巣立ち」の象徴と考えられます。

梢と幹の両親は離婚し、父親は再婚する事がわかるシーンがあります。梢は親鳥と離れ住処まで失いそうになっている雛鳥と自分達を重ねたのでしょう。家族と呼べる人物がお互いだけになってしまう事を「私達は野生動物だもんね」と揶揄しています。

幹もまた「気にいりませんね 『君達の為に』とかいう大人は大抵信用できないものです」「自分勝手な大人に利用されるくらいなら僕はもう決闘なんかしない」と言っている事から、大人に対して嫌悪・不信感を抱いている事が伺えます。

 

幹は自分の片割れ、唯一の家族である梢を断ち切る事ができませんでした。自分が汚れてでも他人を出し抜いてアンシーと「奇跡の力」を手に入れるチャンスを逃しました。学園という巣箱から飛び立つ事が出来なかったのです。

 

それは、幹の為に献身した梢にとって「いくじなし」な事だったのではないでしょうか。

 

 

・癖が強く何を考えているかわからない人物が、実は純粋な気持ちを持った人物である事が後半に明かされる(逆も然り)キャラが多い事はこの物語の大きな特徴だと思います。

・電話の向こうにいる「新しい母親」は明らかにアンシーです。両親にまでアンシーと暁生が手をまわしていた事が伺えます。

・梢が「周りが全部汚れてたら 自分も汚れるしかないじゃない 自分も汚れて欲しいものを手に入れるしかないのよ」と論理的に考えている事に対し、梢への想い・情に囚われ続けた幹、という2人の「論理的思考と感情的思考」が、最後に入れ替わっている事も興味深い点です。

 

・梢は「愛する人のためにその身を尽くした」という点で、ウテナ・瑠果と類似するキャラクターです。 

・幹の葛藤は「唯一の家族との絆を断ち切る事ができない」といった点が、暁生・アンシー・七実と類似しています。

・「思い出を大切にするあまり記憶が美化・改ざんされている」という点は、御影草時の馬宮との回想や、ウテナとディオスの出会いの記憶が実際とは大きく違っていた点を想起させます。

 

 

 

桐生七実 お兄様は私のもの 誰にも渡さない 誰にも 

 

 七実は桐生冬芽の妹です。取り巻きの女子を常に従え、中等部でありながらウテナら中等部の人間や生徒会の人物にも対等、あるいは高圧的に接します。七実は兄である冬芽を崇拝しておりその心酔ぶりは幹曰く「世界で一番の男が側にいるんだから他の男は全員カス同然」「(冬芽以外の男は)カスです、おまけです、パセリです」。高慢で高飛車な反面、カレーのスパイスを取りにインドへ行ったりカウベルを付けて牛になったり卵を産んだと思い込み育ててみたりなど、コミカルで憎めないキャラクターでもあります。

七実は兄・冬芽に近付く人物を「虫」呼ばわりし、排除しようとします。9話で冬芽がウテナをかばい怪我をした事に激昂し、10話でその敵意がウテナへと向かいデュエリストとなり決闘に挑み、敗北。

31話「彼女の悲劇」では、血液型の話から冬芽との血の繫がりが無い事にショックを受け家出、ウテナとアンシーの住む理事長室棟の一室に移ります。そして暁生とアンシーのただならぬ関係の目撃者となります。

そして32話「踊る彼女たちの恋」にて冬芽と共に暁生カーのドライブを経て再びウテナとの決闘に挑み、二度目の敗北。

ラストシーンでは暁生と冬芽の会話で冬芽と七実は赤ん坊の頃に2人揃って桐生家に引き取れらた事、2人に血の繋がりがある事が明かされます。 

 

七実の求めていたもの

「私が好きなのはお兄様だけです」と公言していた七実は32話、暁生カーでのドライブ中にキスをしようと近付く冬芽を拒絶し突き飛ばします。

冬芽「いつもして欲しがってたじゃないか」

七実「違う!」

冬芽「どうせ兄弟じゃないんだ」

七実「そうじゃない!」

冬芽「では、お前が望んでいるものはなんだ?」

兄への想いが恋であるなら、血の繋がりがない事は好都合なはず。ですがそうではありませんでした。「あの桐生冬芽の妹である」こと、それが七実アイデンティティだったのです。

七実の求めた「奇跡」「世界を革命する力」は、兄との血の繋がりを求めたものでした。

 

 

・未熟な性

27話「七実の卵」。ある日七実のベッドに出現した謎のタマゴを、自分が産んだと思い込み育てはじめる、というシュールなギャグ回ですが、このエピソードは七実が非常に思い込みの強い人物である事と同時に、性に対し未熟である、又は潔癖であるという事を示唆しているのではないでしょうか。

また、周囲の人間にタマゴの件を相談した際の七実の妄想「遅れてる〜!」「知らなかったの〜?」や、樹璃の「気持ちいいよ、君もやってみるといい」というセリフから、「タマゴ」は性体験・妊娠の暗喩と考えられます。

また同話での

冬芽「なぜこんなに普通でいられるかわかるか?それはお前がタマゴを産むような女の子じゃないからだ」

というセリフは、桐生家では性に関してかなり厳格な教育をされている事も考えられます。(冬芽は好き勝手しているので、女性である七実に対してのみ厳格なのかもしれません)

 

暁生カーでのドライブの後、ウテナに決闘を申し込む際にアンシーを平手打ちした七実はこう言います。

七実「私はその女とは違うの」

潔癖でピュアな七実にとって、暁生とアンシーの関係は特におぞましく汚いものに思えたのかもしれません。

 

 七実の敗北

七実は最後の決闘へのパートナーとして冬芽を伴っています。パートナーは決闘者への愛・想いで支援効果をもたらす『バフ的存在』であるとする推察を「その2」に記しました。

しかし七実の決闘は2度とも、暁生の手先である冬芽に仕組まれていたものです。冬芽が七実の勝利を願う事はありえなかった。血の繋がりがある事実を知っていた冬芽は、この決闘に何の意味も無い事を知りながら傍観していました。

七実の想いは最初から最後まで、愛する兄に決闘の為の道具として利用されました。

 

 

 ・利己的な願い

しかし、七実が冬芽の実の妹でありたいと願う想いは、果たして純粋なものと言えるのでしょうか?

七実は冬芽の携帯電話を盗みガールフレンドとの会話を聞きます。ひっきりなしにかかってくる電話からは冬芽にすがる沢山の女の子の声。誰とも本気の関係ではない事が伺えます。七実は、冬芽が本気で女の子と交際する気がない事を知っています。自分が妹でなく一人の女の子になったとしても、相手になどされない事をわかっています。

七実「馬鹿な女 私はあんた達とは違うんだから 私とお兄様は血が繋がってるんだから」

冬芽はあらゆるものに恵まれた完璧な人間ですが、七実自身は何の権力も持っていません。血が繋がっていないとわかった途端、取り巻きは離れ、七実の高飛車な態度は消え、悩み落ち込みます。その姿は、年相応の普通の女の子そのものです。

七実「同じになっちゃったんだ私 お兄様に群がる銀バエみたいな女たちと」

七実は『その他大勢』の女の子になる事を恐れています。

 

また、16話「幸せのカウベル」。高価なペンダントのお披露目の為にパーティを開きますが、樹璃がそれを上回る高価な有名ブランドのペンダントを身に付け現れた事に対抗心を燃やし、牛の首輪に付けるベルを有名ブランド「コウシチャンディオール」の物だと思い込み、得意げに身につけます。

「裸の王様」さながらのエピソードですが、これは七実がブランド等の表面的な事に拘る人物である事、非常に見栄っ張りである事を表していると思われます。

七実は肩書きや権威を重視し、『自分も特別でありたい』と願っています。

七実の冬芽への執着は、「兄の権威を笠にきて威張っていたい」という、利己的で打算的な想いも含んでいたではないでしょうか。

冬芽「そうじゃなければ誰があんな ありきたりでつまらない女と」

冬芽は、七実のそんな打算的な想いを見抜いていたのかもしれません。

 

 

七実の「心の拠り所を失ってしまえば中身は普通の女の子である」点は、一時、アンシーを失い普通の女の子に戻ったウテナと類似しています。

・「実の兄に恋をした」という点はアンシーと同じですが「兄の恋人になりたい」わけでは無く、あくまで「実の妹でありたい」と願っている点が決定的に違っています。

 

※26話で梢と七実が会話するシーン。「(あしながおじさんを)紹介しようか?」と問う梢に対し、七実は「結構よ」と返します。同い年でありながら早熟な梢と潔癖な七実、という対比になっていると考えられます。

※「七実の卵」での不可解なタマゴの正体は結局何だったのか?

この回でウテナとアンシーは「生まれ変わり」について話しています。そして終盤で目を覚ました七実のそばには割れたタマゴがあり、「このところ姿を見かけなかった」チュチュが現れる所で終わります。

これは人間より寿命が短いチュチュが、永い時間を生きるアンシーの為にタマゴで転生を繰り返していた、という事を意味しているのではないでしょうか。「生物の生まれ変わり」「記憶の引き継ぎ」についてのアンシーのセリフは、新しいチュチュに記憶・帰巣本能が引き継がれるかどうかを案じていた。そして無事にチュチュが帰ってきてくれた事にアンシーは安堵したのではないでしょうか。

いつもアンシーに寄り添う「チュチュ」は、全てが同一の個体ではないのかも知れません。

 

考察:20年経って考える「少女革命ウテナ」その2

 

本編考察はこちら
omotidaisuki.hatenablog.com

 

 

 

キャラクター考察編

ウテナとアンシーを取り巻く登場人物たちは、それぞれが鏡のように相対する葛藤を持っていると考えます。ここでそれぞれのキャラを考えていきたいと思います。

 

有栖川樹璃土屋瑠果

有栖川樹璃「奇跡なんて無いんだよ!」

基本的に樹璃の決闘へのモチベーションは他のデュエリストとは異なります。

デュエリスト達が「現状を変える為に奇跡の力が欲しい」と願う事に対し、樹璃は「奇跡を否定したい」という動機でウテナとの最初の決闘に挑んでいます。

そしてウテナとの決闘、圧倒的に優勢でありながらも跳ね上げたウテナの剣が樹璃の胸のバラに突き刺さるという、まさに奇跡のような敗北を喫しますが、奇跡が実際に有るか無いかという事には最後まで懐疑的なままでした。

樹璃にとっての奇跡とは何でしょうか?

 

「奇跡を信じて、想いは届くと」

 

樹璃の想い人、枝織の言葉です。枝織がどういう意図でこの言葉を発したのかは謎ですが、樹璃にとっては重要なのでしょう、繰り返し登場します。

この言葉通り樹璃にとっての奇跡とは想いが届く事、「両想いになること」と考えていいでしょう。

 

瑠果「奇跡の力が欲しいのは君だろう」

フェンシング部の部長、土屋瑠果の登場で樹璃の物語は大きく動きます。

彼は療養の為の休学から学園に復帰して早々、樹璃を挑発するかのように枝織に近付き、枝織をパートナーとしウテナとの決闘に挑みます。

この時点での瑠果の目的は二つでしょう。

1つめは、枝織がいかにズルい人間かを暴くこと。

2つめは、決闘の必勝法を見極めること。

この決闘で瑠果はウテナの剣の力量を見定め、傍で祈るアンシーを見て「なるほど」と呟きます。そして敗北後、次こそ勝とうと言う枝織に対し

「何度やっても同じだ。負けたのは花嫁のせいでもある」

と言い放ちます。

 

物語中盤から、デュエリストはそれぞれのキャラクターに縁のある人物を花嫁として伴う形式になります(以下「パートナー制度」)。

このパートナーの役割は何でしょうか?アンシーと枝織、二人の花嫁の違いとは?

 

それは「決闘者を真に想っているか」という違いではないでしょうか。

 

学園での人気ぶりを見て瑠果に近付き、とっさに「瑠果の剣を磨いていた」と嘘をつける枝織は瑠果を真に愛していたとは疑わしい。瑠果と付き合う事で優越感を感じたかったという所でしょう。瑠果ははじめから枝織のズル賢さを見抜いていました。

パートナー制度での勝利の秘訣は、デュエリストの剣(信念)と力量、それに加えてパートナーの祈り()。これらが揃うことであると瑠果は考えたのではないでしょうか。

以上を踏まえての

 

瑠果「君の潜在能力は天上ウテナを上回る。君の能力を引き出せるのはこの僕だ。君と僕が組めば天上ウテナを倒せる」

 

このセリフです。「自分の愛で君を勝たせてあげる」と言っているんです。しびれます。

そんな愛の告白とは露とも知らない樹璃は決闘へ向かう事を約束し、暁生カーに乗り『永遠』を見ます。

 そして挑んだ2度目の決闘。勝利を目前にしながらも、胸のペンダントが砕けた事に樹璃は動揺し、自ら胸のバラを捨て、またしても敗北しました。

ラスト、怪我をした後輩を連れ訪れた病院で看護師たちの噂話を聞いてしまう樹里。内容からして「亡くなった男の子」が瑠果であること、その想い人が樹璃であることは明らかです。

しかし病院を去るシーンの樹璃の独白は「願わくば、貴方の想いが届きますように」という他人事のようなものでした。

樹璃は瑠果の気持ちに気付かない振りをしました。瑠果の献身を無視したのです

そして樹璃に走り寄る枝織。おそらく、樹璃と枝織は以前と変わらない関係のままこの先も続いていくのでしょう。

 

  • 樹璃は何を望んだのか?

樹璃の行動を振り返ってみます。

樹璃は枝織に近付く瑠果を批難しておきながら、2人が別れた途端「よりを戻せ」と迫ります。一貫していません。2人の仲を祝福も出来なければ、自分が報われる事も望んでいない。

樹璃が望んだのは「現状維持」でした。

 

「今の関係が壊れるのが怖いから」「幸せを手に入れるのが怖いから」「”奇跡の力”なんてもので相手の気持ちを振り向かせるのは卑怯な事だから」「想いが成就し同性愛という関係になるのが怖いから」「辛い恋をしてる現状が好きだから」…

様々な憶測ができますが真相は謎です。ただ、彼女は『奇跡』を望まなかった。想いが枝織に届く『奇跡』を自ら否定し、苦しい片思いの道を選んだ。それは確かです。

 

前記事でデュエリスト達の葛藤を「執着」と表現しました。「執着」という言葉には様々な意味がありますが、その一つは「苦しい状況であっても動こうとはせず、自らの意思でその状況に留まろうとする事」ではないか、と考えます。

自らの手で胸の薔薇を放棄した樹璃というキャラクターは、デュエリスト達の葛藤を特に明確に現しているのではないかと考えます。

 

瑠果「樹璃、心配無い。心配無いよ、樹璃」  

樹璃は「奇跡を信じて」という枝織の言葉を信じず「奇跡なんて無い」という自分の信念を貫きました。

これは樹璃自身が選んだ事なのだから、問題無い。

だから「心配無い」のです。

 

 

 

 瑠果「秘めた想いかどんなに辛いものなんだろうな」

 瑠果は樹璃を愛していましたが、物語の最後に看護師の噂話で語られるのみで、本人が気持ちを口にする事はありませんでした。枝織や樹璃を振り回すような行動は全て樹璃を挑発する為、樹璃に本気で奇跡を望んで貰う為には手段を厭わなかったのです。

 

「自分の想いが相手に届かなくても構わない」というスタンスは樹璃と瑠果、2人に共通しています。違っていたのは「自分が身を引いても相手の幸せを尊重できるか」という部分でした。

 

「そういえばあの子よく言ってたわ 『愛する人に奇跡の力をあげたい』って

『あの人を解放してあげたい』って」

 

瑠果には『自分が決闘に勝利し樹璃と永遠を手に入れる』という可能性もありました。自分の命が残りわずかである事を知っていたとしたら、なおさら樹璃との永遠を望んでもおかしくはなかったはず。

にも関わらず、瑠果は一貫して樹璃の勝利の為に余命を尽くしました。自分の樹璃への想いよりも、樹璃の枝織への想いを尊重したのです

 

これはウテナが暁生と永遠を手に入れる可能性を捨て、自分の全てを投げ出してアンシーを救う道を選んだ献身・自己犠牲の精神と似ていると考えます。

そして、執着を捨てる事が出来なかった樹璃は、ウテナの献身から気付きを得る事が出来なかった場合のアンシーの姿ではないでしょうか。

 

瑠果は「目的の為なら手段を選ばず他人ですら利用する」という点が暁生と類似しています。

しかしその目的が、暁生は自分の為でしかない利己的なものであった事に対し、瑠果の目的は樹璃の願いを叶える為という利他的なものだったという点が決定的に異なっています。

 

 

 

桐生冬芽

 「友情を信じるなんて馬鹿だ」

 

デュエリストの中で、冬芽だけは完璧であるゆえに奇跡への執着が薄く、世界を革命する力=現状を変える事 を必要としない人物である事を前記事で書きました。

完璧である彼は何かを望む理由が無く、過去2回までのウテナとの決闘も「世界の果て」からの指示に従ったものであり、自分の意思ではありませんでした。

冬芽はいつも余裕綽々としていて動じません。自分が永遠を必要としない余裕からか、常に全体を一段上から見ているような節がありました。

 

しかし鳳暁生の登場で彼のアイデンティティが揺らぎます。

 

暁生と冬芽はよく似ています。プレイボーイで気障でカリスマ性に溢れ、自信家で、自分以外の人物を見下す尊大さも同じです。違っているのは、暁生は冬芽の「生徒会長」という地位を上回る「理事長」である事です。

そして決定的に違うのは、暁生は「大人」であるという事です。

言わば、暁生は冬芽の上位互換なのです。

 

暁生の登場から冬芽の様子がおかしくなり登場がめっきり減ったのは、ウテナに敗北した事に加えて学園の真実を見せられた2重のショックからではないか、という推測を「その1」に書きましたが、それに加え冬芽の廃人化は暁生の存在自体にショックを受けた面もあったのではないかと考えます。

完璧であったはずの自分の前に、更に完璧な人間が現れた事は、プライドの高い冬芽にとって相当なショックだったはずです。

 

 冬芽は学園の仕組み、決闘システムの仕組み、暁生とアンシーの目的を知ります。そしてウテナがかつての棺の少女だった事、永遠をあげたいと考えた事を思い出します。

このままいけばウテナは暁生のものになり二人は永遠になってしまう。

暁生ではなく自分が、死を恐れた女の子に永遠を見せてあげたい。

世界の果てと魔女の策略からウテナを救う王子様になりたい。

暁生のような王子様になるために暁生のような力が欲しい、変わりたい。

全てをナメきっていた冬芽がはじめて「変わりたい」と願います。

 

「プレイボーイの生徒会長、桐生冬芽か… プレイボーイとは古いな」

 

プレイボーイは古い。これからはウテナ一筋だ。

冬芽は暁生に対抗するべくウテナを本気で口説き出します。

しかし「王子様には馬がつきもの」とばかりに乗馬に誘っても、わざとらしく白馬に乗った暁生に良い所を持っていかれてしまいます。夜の決闘広場に誘い星を見ながら甘いセリフを囁いてみたりもします。

ウテナは警戒していましたが、あの時点の冬芽は純粋にウテナを愛していたのではないかと考えます。 

 

冬芽の敗因は何だったのでしょうか。

一つは「戦う相手が悪かった」事。

この場合の冬芽の「戦う相手」とは決闘相手のウテナではなく、暁生です。ウテナへのプレゼントをわざわざ冬芽に選ばせ渡させるというエピソードに示されるように、この回では暗にウテナをめぐって冬芽と暁生が対決しています。

冬芽が完璧だったのは暁生が現れる以前までの事でした。暁生という自分の上位互換の存在、「大人」という未知の存在を前に自分を見失わずにいる為に、彼は『対抗』ではなく『恭順』を選んだのです。この時点で勝負は決まっていたと言えます。

 

その後、冬芽は暁生カーにそっくりな真っ赤なクラシックバイクで夜の道路を疾走します。サイドカーに西園寺を伴って。

車の免許が無いからバイクで行こうと思ったのでしょう。

 

王子様といえば馬。豪華なクラシックカーの代わりにバイク。女の子を口説く時に星を見る。

意識的か無意識か、全てが暁生の真似になっています。

 

「俺もあの人のようになりたいんだ あの人のような力が欲しい」

 

冬芽はかつて王子様であった暁生に憧れるあまり、自分のアイデンティティ、オリジナリティを見失ってしまいました。

 

 

二つ目の敗因は、パートナーとした西園寺との友情を信じられなかった事。

決闘時に花嫁を伴うパートナー制度になってからは、パートナーとデュエリストの気持ちが揃う事が勝敗に大きく関わるのではないか、という仮説を書きました。(瑠果回参照)

冬芽のパートナーは西園寺です。西園寺は冬芽との永遠に続く友情を信じているので、冬芽に対して最も想いの強い人物であり、最適な人選だったはずです。西園寺の想いに偽りが無かったと考えると、敗因は冬芽にあります。

 

敗北後、最終決戦に向かうウテナを決闘広場への道で待ち伏せた西園寺と冬芽。冬芽はウテナ「友情を信じる奴は、馬鹿だぜ」と言っています。

 

西園寺「本気で人を愛したことなど無く、人は利用するものとしか思っていない

それが貴様という男だ」

 

かつての西園寺の言葉通り、冬芽は本気で西園寺を信じる事ができなかったのです。冬芽は最後まで変われませんでした。

 

三つ目の敗因は、本気になるのが遅かった事。

冬芽とウテナの出会いは過去にウテナが棺に入っていた時、つまりディオスに出会った時と同時期です。その時冬芽は「この女の子に『永遠』を見せてあげたい」と考えています。

冬芽はスタート地点ではウテナに対し純粋な想いを抱いていました。そして初期のウテナは冬芽をディオスではないかと考えています。

 

「その『王子様』ってのは、俺みたいなヤツじゃなかったかい?」

 

この口説き文句を押し通していたらどうだったか。

つまり少々強引ではありますが、暁生が不在であるうちに自分こそがウテナの王子様だ、一緒に永遠を見よう、ウテナをそそのかしてしまうという道もありました。

思い出の王子様にすげ変わることで、冬芽にもワンチャンあったかもしれないのです。

しかし暁生に頼まれたプレゼントを渡そうと話しかけるシーン。

冬芽に塩対応だったウテナは、暁生の名前を聞くと露骨に態度を変えるのです。冬芽からのプレゼントは受け取らず、暁生からだと聞くと喜んで受け取ります。

ウテナの気持ちが完全に暁生に向いてることを、冬芽はまざまざと見せつけられます。

 

冬芽はかつて「棺の女の子に永遠を見せたい」と純粋に願ったことを忘れて、多数の女の子にかまけていました。

冬芽はディオスの言うところの「気高さ」を長く失っていました。そうして気付いた時には本物の王子様が登場していて、もう冬芽の付け入る隙は無くなってしまいました。

全ては遅すぎました。

 

桐生冬芽は「王子様に憧れ、王子様になれなかった」という点ウテナ、暁生と類似するキャラクターです。

そして「人を惹きつけ愛されるカリスマ性を持ちながらも、誠実に人を愛することができない」という点が鳳暁生と類似しています。

 

ウテナと暁生が学園の庭でひなげしの花言葉を語るシーンがあります。筆者もひなげしの花言葉を調べましたが、複数あったり色によって違ったりするのでよくわかりませんでした。

ですが冬芽がメインの回であること、暁生の語る項羽のエピソードから、「別れの悲しみ」ではないかと考えます。

暁生は冬芽の敗北をあらかじめわかっていました。

 

 

★「その3」へ続く

 

 

考察:20年経って考える「少女革命ウテナ」

 

 「少女革命ウテナ」。

毎週夢中になって観ていた大好きなアニメ。当時の自分にはストーリーの理解は難しく、綺麗な画面に奇抜な演出、シュールなギャグをメインに楽しんでいました。それでも最終回の感動をよく覚えています。

年月が流れ、ふと「おとぎ話のような世界観でありながらとてもシビアで現実的なテーマだったのでは?」と考えるようになりました。

哲学的で抽象的な表現が多く、考察などは無粋とも思えるけれど、これを機に自分なりに考えた事をまとめてみようと思います。

 

 

 

決闘ゲーム、天空に浮かぶ城、世界の果て…とても謎が多い作品ですが、第二部「黒薔薇編」に多くのヒントが隠されていると思うので、ここを取っ掛かりにしていきます。

 

⚫︎黒薔薇編

御影草時千唾馬宮、そしてアンシーの兄で学園の理事長代理である鳳暁生が登場します。

これまでと違いウテナに挑むデュエリストが脇役と思われていた意外な人物であったり、アンシーと兄暁生との意味深な関係が見えたりと見所満載ですが、この黒薔薇編のメインは「学園の仕組み」についてだと思います。

御影はアンシーそっくりな(というかアンシーが化けているのですが)馬宮という少年と共に、心に闇を抱えている人物にカウンセリングと称して接触し「あなたは世界を変えるしかないでしょう」と告げ、黒薔薇の指輪を託しウテナとの決闘へと向かわせます。

黒薔薇のデュエリスト達は「薔薇の花嫁に死を!」と告げ、次々とウテナに決闘を挑む、という流れで物語は進みます。

しかし多くの謎があります。昔多くの生徒が犠牲になった根室記念館とは一体?なぜ根室教授と御影草時は姿が同じなのか?暁生と御影の関係は??

それらの謎が一気に解けるのが過去回想がメインの22話、ウテナと御影が対決する23話です。

 

 

昔、とある研究に携わる為に学園を訪れた天才高校生、根室教授。電気計算機と呼ばれる教授はビジネスとして契約した範囲での研究を淡々と続けていました。

研究に携わる多数の優秀な生徒達。彼らの付けている薔薇の指輪は、彼らが『あの方』と交わした契約の証らしい。そんな事は興味も無い教授。時々建物の奥に運ばれていく謎の台車にも、教授は無関心でした。

そんな教授の前に千唾時子(ちだ ときこ)が登場し、教授は変わります。時子の美しさに見惚れ、病弱な弟を気遣い叱咤する優しさ、先の長くない弟に永遠を見せたいという健気な姿に恋をしたのです。

時子「天才と呼ばれる人は、他人を好きになったりしないかしら…?」

根室そうですね…確かに、今日まではそうでした」

恋を知った教授は研究に力を入れ出します。

元々、教授は時子との会話で永遠を手に入れようなんて、永久機関のからくりを作り出そうとするようなものだ。人はもっと謙虚に、神様の与えてくれるものに感謝してればいいんですと言っています。彼は研究の最終目的、”永遠”を求めること自体に否定的だったのです。そんな目的の無い電子計算機のような人間だった教授に目的ができました。

研究を成功させ馬宮に永遠を見せる。そんな時子の願いを叶えてやりたいと考えたのでしょう。

恋する教授は時子の弟の馬宮の元へ訪問したり(馬宮はそんな下心をお見通しでしたが)時子の口紅の付いたティーカップをとっておいたりします。ちょっと気持ち悪いですが、初恋なので許してあげて下さい。

研究に没頭する教授。しかしどうしても方程式が解けません。

そこへやってきた鳳暁生。教授に「世界を革命する為の第一歩」だという手紙と「契約の証」として指輪を託します 。手紙を読み「こんな事は実行できない」と大きく動揺する教授。

暁生は「世界を革命するしかない、君の進む道は用意してある」と告げます。

 

そして場面は大きく変わり、燃え盛る研究所、馬宮を問い詰める時子、馬宮のやったことは正しいという教授が呟きます。

根室教授僕も…永遠が見てみたくなった

 

 

そして現在。

根室教授こと御影草時(みかげ そうじ)は、温室で「自分を大切にしない奴が一番キライなんだ」とアンシーを叱咤するウテナに、時子の姿を重ねます。

馬宮の墓参りの為に学園を訪れた時子。しかし、彼女とすれ違っても気付きもしない御影草時(根室教授)。

彼や暁生が歳をとらないのに対し、歳をとり結婚もしている時子は、「こんな事は間違ってる」と暁生に言います。

「実を結ぶ為に花は散るのよ」と。

 

 

⚫︎根室教授は何の研究をしていたのか?

鳳暁生「学園という庭にいるかぎり、人は大人にならないのさ」

 

まずは22話の所々に感じる違和感から整理していきます。

・時子との会話中、窓の外で増えてる(出産してる)ネコ

・時子「(紅茶が)濃すぎるわ。蒸らし時間は同じなのに。砂時計も狂う事があるのかしら。→この時使用した砂時計がテーブルに映り込み『逆さまになった砂時計』という意味深なカットの中、二人の会話は続いています。

・生徒「しばらくは消えないでしょうね」「雪のことですよ」

・歳をとらない御影草時(根室教授)、鳳暁生

これらの現象は時間の流れが極端に遅いということを示してると考えられます。

つまりあの一帯は永遠を手に入れる為に時間を引き延ばす実験、『時間遅延』が起きていたのでは無いでしょうか?

室内とは窓ガラス一枚隔てた場所のネコが増えている事、馬宮の家に訪れた教授が「この庭の雪は、中々消えないね」と言っている事から、この時の時間遅延は研究所周辺と時子の家だけだったのでしょう。ですがこの時の馬宮はアンシーが化けていて、場所は薔薇が咲き乱れる温室です。アンシー&暁生のテリトリーと考えていいでしょう。

 

 以上を踏まえて黒薔薇編の時系列を整理してみます

  • 暁生、研究所にて100人の男子生徒と『永遠』の材料になるという契約を交わし、黒薔薇の指輪を与える
  • 根室教授を呼び寄せ研究に参加させる
  • 時子、学園に訪れる。時子に恋をした教授、研究に本腰を入れ始める。
  • 暁生、教授に「世界の果て」からの手紙を渡し少年達との契約内容を教える。同時に指輪を託し、契約を迫る。
  • 教授「こんな事をしても彼女は喜ばない!」 暁生「彼女、ね…」←暁生、教授の時子への恋心に気付く。
  • 暁生、時子に手を出し教授を挑発。それを見た教授、時子を自分のものにする為に世界を革命する事を決意。
  • 馬宮に化けたアンシー、「永遠が見たい」と教授をそそのかす。
  • 研究所に火を放つ(研究の仕上げ?)。※御影の回想では火を付けたのは馬宮だったが、事実は根室教授だった
  • (推測)建物の奥に運ばれる棺桶→研究の材料となった100人の男子生徒?
  • 真・馬宮、死亡。時子、学園を去る。

~永い時間~(時子が相応に歳を取る外部の通常時間=根室教授が記憶障害を起こす程の学園内部時間)

  • (推測)この間、馬宮に化けたアンシーが根室教授に近付き「御影草時」というニセの人物像を植え付け、錯覚させる。

ー現在ー

  • 御影草時、馬宮アンシーと共に決闘への挑戦者を募る(黒薔薇のデュエリスト)
  • 御影草時、ウテナとの決闘に敗北。かつて自身が根室教授であった事、当時の本当の記憶を思い出す→学園卒業。
  • (推測)御影(根室教授)の卒業をもってして研究完了。『永遠がある城』が出現。
  • (推測)館長の不在により根室記念館の時間遅延が解除、廃墟に。

根室教授の独白と共に回想されるシーンには多数の違和感がありますが、その一つが「人物の色」です。根室教授は通常の鮮やかな彩色である事に対し、時子や馬宮の肌・服の彩色は暗く濁っています。また、燃え盛る研究所での回想シーンでは、同一の場所にいるにも関わらず明らかに教授のみ影の色が違っています。

教授の姿だけが、まるで古い映像に無理やり嵌め込んだように浮いているのです。

これらは、教授があやふやになった記憶を改ざんしていた事を示唆しているのではないでしょうか。

そして現在時間、学園外からやってきた時子は歳をとっているのに対し、暁生や御影(根室教授)の外見が変わらないことから、鳳学園の中のみ時間遅延がおきていると考えられます。

つまり鳳学園は時のほぼ止まった楽園です。いつまでも覚めない夢の国、遊園地です。

おとぎ話のような学園のデザインや城、アトラクションのようなギミック、アンシーの傍にいるマスコット(?)チュチュがネズミっぽい鳴き声であることも、某有名テーマパークのネズミキャラクターを想起させます。(そういえば幹のニックネームは『ミッキー』です)

さしずめ根室記念館は亡霊達の住む「ホーンテ◯ドマンション」という所でしょうか。

 

・夢と死の楽園

鳳学園とは何か?

デュエリストはじめ、作中の登場人物達は同性愛や近親愛など、皆ある意味では特殊な愛・欲望・願望の持ち主です。一般社会では肩身の狭い思いをせざるを得ないマイノリティといえます。

女子でありながら王子様になりたいという特殊な願望を持つウテナも例外ではありません。学園の人物は皆、自らの夢・願望に囚われている人達です。

夢を持ち続けるにはどうしたらいいか?

現実の方を変えようとしたのではないでしょうか。

明日テストなのにゲームがやめられない、明日になんてならなければいいのに!」と考える子供のようなもの。誰でもいつかはゲームを消して机に向かうのに、彼らはずっとゲームを続ける為に明日という現実を拒否し続けているのです。

・高等部・中等部、といった区別のみで明確な学年がないキャラ→進級しない?

・夏服と冬服が混在する制服・常にバラが咲き乱れる学園内(薔薇の花のピークは通常5月~9月)

・学校生活特有のイベント(夏休みや学園祭など)が無い=季節の変化が無い?

・10年後の話をするアンシーとウテナのシーンでBGMがリピートする、など

これらの事象から、学園内の時間遅延は継続していると思われます。

鳳学園という学校の生徒会は教師でさえアゴで使う権力を持っています。※7話で制服についてウテナに詰め寄る教師を樹璃が言葉あで軽くあしらっている

この学園では生徒が主体であり、常識やルールを強いる大人は居ない。生徒達が想い想いの夢を見る楽園です。

また、墳墓の形をした学園は時間が無い=変化が無い=死人も同然、ということだと思われます。

なのでアンシーは勉強もしないし友達も作らないし将来のことも考えません。暁生と「今」だけあればいいからです。

 

鳳学園はインモラルでマイノリティな人達が世間一般の常識や倫理から免れる箱庭のような場所であり、学園内の人物は皆、自分の欲望を手放す事が出来ず苦しんでいる人間の集まりであると考えられます。

 

以下、作中に頻繁に出現するワードを置き換えてみます。

  • =鳳学園=変化の無い空間・死
  • 永遠=終わらない夢
  • 世界=地球全体や国ではなく、個人の認識する社会、価値観・世界観 など
  • 世界の果て=世界観・価値観の限界=絶望=鳳暁生
  • 世界を革命する力=自分を変える勇気

 

・決闘・デュエリスト達のジレンマの闘い

デュエリスト達は「世界を革命する力」「奇跡の力」を持つ薔薇の花嫁を求めてウテナに決闘を挑みますが、ほぼ毎回ウテナの勝利となります。剣の実力では西園寺や冬芽、樹璃の方が上のはず。なぜデュエリスト達は勝てないのでしょうか?そもそも決闘とは何なのでしょうか?

デュエリスト達が決闘へと向かう理由は「世界の果て」という謎の人物から届く謎の手紙に従う、という謎だらけのもの。あくまで強制ではありません。(現に、西園寺などは自主的に離脱したりもしています)

デュエリストが決闘を決意する時は、行き詰まった状況や人間関係を変えたい時。つまり「変化が欲しい時」といえます。”自分自身ではどうしようもない状況を、よくわからない凄い力でなんとかできるらしい” といった、不確実で他力本願なもの。決闘に負ければ願いは叶わない。ただこれまでと変わらぬ毎日が続いていく。

物語前半での「決闘」とは、そんな意味合いのものだったはずです。

 

・世界を革命する力、世界の果て。暁生とのドライブで何をみたのか?

 黒薔薇編、鳳暁生の登場から暁生カーに乗せられドライブした後、デュエリスト達は「永遠を見た」と言い、人が変わったように真剣に決闘に挑むようになります。

彼らは何を見たのでしょう?

 

冬芽「誘おう!君が望む世界へ!」

 

これは文字通り、奇跡の力によって手に入る望み通りの世界を見せられた、と考えます(理事長室のプラネタリウムのトリック?)

例えば西園寺なら、アンシーを手に入れた世界。永遠に冬芽との友情が続く世界。まさに夢のような世界です。

本当にあるのかどうか疑わしかった奇跡の力を、実際にあるんだよ、手に入れる事ができるんだよと見せられてしまったら。現状が膠着し追いつめられた者ほど、これ以上無い希望です。ますますその力を欲するでしょう。

 

しかし見せられたのは希望だけでしょうか?西園寺などは顔つきまで変わっています。

それに加えてもう一つの事実を見せられたのでは無いでしょうか?

つまり「世界の果て」という絶望、学園内の時間遅延のネタバラシです

 

・「我らもまた、棺の中にいる」

真っ赤なオープンカーで夜の道路を疾走し、運転手の暁生が謎の一回転アクションでボンネットに飛び移るアニメ史屈指の迷シーン。常識的に考えて、あのままだと暁生カーはどうなるか?

事故ります。当然です。

しかしその後、何事も無かったように復活したとしたらどうでしょう?

実際に暁生含め乗車メンバーは全員無傷で再登場しています。

自分自身が不死も同然の存在だと証明され、今まで当たり前に暮らしていた世界が時間のほぼ停止した世界だということ、(かつての御影草時のように)自分が一体いつから、どれ程の期間、学園にいるかわからない事に気付いてしまったら。

かなりのショックではないでしょうか。

その根拠として、理事長代行である鳳暁生が登場する黒薔薇編初期、桐生冬芽の様子がおかしくなる事を挙げます。

廃人のように部屋に閉じこもり「世界の殻を破らねば、雛鳥は産まれず死んでゆく」という自分のセリフを繰り返し聴くシーンなどは七実を怯えさせました。

以降、黒薔薇編での冬芽の登場回数はめっきり減ります。直前の回でウテナに敗北した事にショックを受けた。けれど本当にそれだけでしょうか?

彼は生徒会長です。教師がほぼ空気なこの学園では、冬芽の権力は理事長代行である暁生に次ぐものと考えて良いでしょう。ナンバー2である彼は学園に戻ってきた暁生にいち早くネタバラシをされたのでしょう。

基本的に生徒会=デュエリスト達はそれぞれ葛藤、不満を持っています。ですが冬芽だけは例外なのです。

彼は学園きってのプレイボーイであり、生徒会長であり、全てが完璧なのです。

完璧であるという事は、変化を必要としないということでもあります。変化の無い鳳学園は冬芽にとって完璧な楽園でした。この学園に適合している者ほど、学園が虚構であるという真実はショックが大きいはず。真実を知った冬芽は大きく動揺し廃人同然になり、事実を受け入れるのに時間がかかっていたのではないでしょうか。

 

また、第9話、西園寺が冬芽との付き合いの長さを語るシーンで

  西園寺「あいつ(冬芽)とはこの10年間、何百回もやりあっている」

というセリフがあります。

そして暁生とのドライブを経ての第37話では、

 冬芽「お前と自転車に乗るのは久しぶりだな」

 西園寺「ああ。‥どのくらいぶりだろう…

といった会話があります。

どちらの会話も、2人が幼いころ自転車に乗り教会で「棺の女の子」に会った時、ウテナに関して を回想しているので、同時期の事を指しています。なぜ、西園寺の認識が「この10年」から「どのくらいぶりだろう」というあやふやなものに変わってしまったのか。

これは2人が9話からドライブを経ての37話で、時間の経過がわからなくなっている事に気付いた、ということを意味してるのではないでしょうか。

また、同37話で

 冬芽「彼女は棺の中にいる、我らもまた棺の中にいる」

 西園寺「俺達は這い上がるのだ!世界の果てによって用意された棺の中から!」

とも言っています。

世界の果て=鳳暁生、棺の中=時のほぼ止まった学園内・絶望   と当て嵌めてみると、2人は自分達が世界の果てである暁生に利用されていることに気付いています。それでいてなお、決闘ゲームに挑むのです。指輪や手紙に縛られた義務での決闘ではなく、自主的に、自分の存在意義の為に闘いに赴くのです。

 

デュエリストが決闘に挑むのは、現状を変えたいと願う時です。どうにもならない状況を「世界を革命する力」「奇跡の力」でなんとかしたいと願う時です。

そして剣は「誇り・信念」の象徴です。各々の「意志の強さ」の戦いです。決闘とは、「変わりたいという意志」「心の剣」の強さの戦いです。

この「心の剣」こそが鳳暁生の目的であると考えます。デュエリスト達を決闘させ「誇り・信念」の強い者の剣こそが、「王子様の剣」に近いと考えたのでしょう。

つまりこうです。

王子様の剣を出現させる為に、より強い誇り、信念、変化を望む心の持ち主が必要だと考えた暁生は、デュエリスト達をドライブに誘い勝利へのカンフル剤として学園の真実を見せた。

結果、彼等は

・決闘に勝利し世界を革命する力を手に入れ、自らの欲望のままの永遠の世界を手に入れるか

・決闘に敗れて革命など起こせないまま現状維持、叶わぬ願いを抱え学園内で死人も同然に生き続けるか

という、希望か絶望かの選択を強いられた事になります。

ウテナに友好的だった幹でさえ決闘を挑むのは、アンシーへの恋心だけでは無く、自分自身の為の闘いという意味合いが強くなったからではないでしょうか。

以上の事から、暁生カーでのドライブ以降のデュエリスト達の決闘は、それ以前のものに比べ、意義が大きく変わっています。生か死か、という一層切実なものとなっているのです。闘い勝利しなければ、何も変わらない=未来は来ないのですから。

 

そして結果として、全員がウテナに敗れ革命に失敗しました。

なぜ彼らは勝てなかったのか。

彼らの中での自分自身の闘い、「勝ちたい」という気持ちに「勝ちたくない」という気持ちが勝ったのでは無いでしょうか。

変化や成長とは、これまでの自分との決別です。勇気が要るものです。学園にいる限り、

樹璃はずっと変わらず枝織を想い続けていられる。

冬芽は学園一のプレイボーイで完璧なスーパー生徒会長のまま。

七実は完璧な兄の妹でブラコンのまま。

幹と梢は大人を嫌悪する心が成長を妨げ、お互いを子供のままでいようと縛り続ける。

西園寺はプラトニックで男尊女卑な男女交際と冬芽との永遠に続く友情を信じていける。

夢や願望は、叶った瞬間から現実になります。学園の中にいる限り、現実世界のモラルに糾弾される事なくそれぞれが自分本意な夢を見続けていられる。変化の無い学園の中では何かを得る事は無いけれど、失う事も無い。

敗北は、変化を拒んだとも言えます。世界の果てによって用意された棺は、考えようによっては夢に破れ傷つく事のない安全な鳥籠なのかもしれません。

 

 暁生「世界を革命する力が彼らを捉えたんじゃない。彼らの方が求めて奇跡に囚われるんだ」

 

 〜馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない〜

 ということわざがあります。

人が「喉の渇いた馬を水辺に連れていく」事は出来ても、「水を飲むという行為」 は馬にしかできない。

 どんなに望んでも、それを手に入れるかどうかは本人の意思次第です。

彼等が学園に利用されているように、彼等もまた自分の願望のために学園を利用していると言えるのかもしれません。

 

 

・ディオスと鳳暁生

過去回想で暁生とアンシーの過去が暴かれます。

「王子を出せ」と叫ぶ民衆に包囲された小屋の中には幼いアンシー(以下『幼アンシー』)と憔悴したディオスの2人。やがて小屋から現れた幼アンシーは「ディオスは私だけのものだから 貴方がたの手の届かないところに封印しました」と宣言します。

この『封印』とは具体的に何でしょう?

過激な推測になりますが、これはディオスが幼アンシーにレイプされたという事ではないでしょうか。

民衆に囲まれた小屋でディオスを介抱するアンシー。姿は子どもですが非常に色っぽく、艶かしく描かれています。そして立ち上がる事もできず喘ぐディオス。包囲された小屋から物理的にディオスを遠ざけるのは不可能でも、行為によって肉体を犯す事は可能だったのではないでしょうか。

近親相姦と言う禁忌を犯した者は「世界中の女の子の王子様」としては不適格です。不可抗力であってもディオスも「同罪」とみなされます。こうして『私だけのもの』『封印』としたのではないでしょうか。

幼アンシーは王子を愛していましたが、世界中でただ1人、王子様のお姫様にはなれない女の子です。兄妹だからです。しかし都合良く王子様を求める世界中の女の子よりも、王子様の身体を労る幼アンシーも真に王子様を愛していました。

 「お姫様になれない女の子は、魔女になるしかないんだよ」

 

暁生もまた「近親相姦という禁忌」、「王子様を奪われた世界中の女の子からの恨み」を背負ってまで自分を愛してくれる健気な妹を愛しています。そして自分に禁忌を負わせたアンシーを憎んでもいたでしょう。

暁生「まだ、俺を苦しめるのか、アンシー」

近親相姦という禁忌にアンシーと暁生はずっと苦しみ続けていたのです。

そうして、かつて「みんなの王子様」だったディオスは、アンシーによって『封印』され、王子様の妹だったアンシーは『魔女』と呼ばれる事になりました。

 

・世界の果てへ

かつて王子様だった存在は、「ディオス」と「世界の果て」に分離します。

肉体を失い「世界中の女の子の王子様」という「概念」となり、天空に浮かぶ城の『王子様の墓』に封印される「ディオス」。

ただ一人、真に自分を愛してくれた魔女であり妹でもあるアンシーのための「世界の果て」というただの人間。

アンシーと「世界の果て」は、誰にも咎められる事のない楽園を求めて鳳学園を乗っ取り、エデンの園のような楽園に二人で篭ります。お互いを慰め合い、魔女の力で時間を限りなく遅らせながら。

「世界の果て」は自らを自虐的に「堕ちた天使ルシファー、暁の金星」に見立て「鳳暁生」と名乗ります。

しかし学園の時間はあくまで遅らせているだけ。いずれ限界が来ます。

二人はまたもや共謀し根室教授と100人の男子生徒を利用して『永遠がある城』を出現させました。(黒薔薇編)

”王子様とお姫様はいつまでもいつまでも、永遠に幸せに暮らしました”。そんな結末を望んだのでしょう。

しかし困った事が起きます。永遠がある城に続く薔薇の門は、王子様の剣でしか開かないのです。

かつて王子様だった自分=ディオスと分離し、ただの人間になった暁生にはその資格がありません。

暁生は更に容赦なく人間を利用します。王子様の剣を持つと思われる人物に薔薇の指輪を贈り学園におびき寄せました。アンシーという「薔薇の花嫁」と「世界を革命する力」をエサに彼らを戦わせ、王子様に匹敵する強い剣(誇り・信念)を持つ人物を選別し、薔薇の門の前でその剣を奪い、扉を開きアンシーと共に永遠を手に入れる。そんな算段だったのでしょう。

 

しかしアンシーがウテナに心を開き始めた事と、封印したはずのディオスがウテナの前に現れていた事は2人の計算外でした。

 

・ディオスとウテナ

34話の過去回想、両親を亡くし絶望するウテナとディオスが出会います。

ここで注意したいのは、ウテナと出会う彼は「鳳暁生」ではなく「ディオス」である事です。

肉体と分離し概念となった彼は、「罪悪感」という責め苦を負う幼アンシーを救いたいと願ったのでしょう。

ウテナは真の王子様・ディオスにアンシーを救う決意を告げ指輪を託されました。

そしてウテナは物語後半、決闘でピンチになると天空の城から降臨するディオスからキスを受け、勝利する事になります。以降、ディオスがウテナの元にだけ飛来することから考えて、他のデュエリスト達の指輪はニセ王子(暁生)からのものであった事に反し、ウテナの指輪だけが「本物の王子様からの指輪」だったと考えられます。

同時に、両親を亡くし絶望の中にいたウテナを棺の中から救ったディオスこそが「真の王子様」であり、アンシーの苦しむ姿を見て助ける事を決意したウテナこそが真の誇りの持ち主であったとも。

そしてこの過去の出来事が、ウテナに「女の子だけど王子様になりたい」という不条理のような願いを抱かせ、学園の適合者になるきっかけでした。

 

・天上ウテナ

ウテナは純粋です。

女子なのに男子の制服を着て一人称は「ボク」。「ボクは女の子だ!」と主張しながらも「王子様になりたい」と矛盾したような事も言います。女子にも男子にも慕われ、分け隔てなく付き合い、教師にも従わず、年上の生徒会メンバーや七実のような年下とも平等に接しています。何にも縛られず、間違った事は見逃せない。困った人を助ける人情に厚いおせっかい。純粋で正義感が強く、まさに王子様のような女の子です。

そしてウテナは子供です。

自分の正義感のままに、わからない事には「わからない」と、おかしい事には「おかしい」と言いきります。相手の背景や心情を慮ったり、共感や理解しようとはしません。「王様は裸だ」と言ってしまう子供のような純粋さ。

そんなウテナだからこそアンシーの心を開き友情関係を築く事が出来ました。アンシーとエンゲージしたのは成り行き上でしたが、ウテナは「世界を革命する力」や「奇跡」「永遠」が目的ではなく、アンシーを救いたいという純粋な考えのもと、友達として共にいました。

 

・鳳暁生

学園に戻ってきた暁生は、ウテナの傍で快活に笑うアンシーに危機感を抱きます。アンシーの心を動かした人物であるウテナを警戒したのでしょう。しかし徐々にウテナに惹かれていきます。ウテナの持つ純粋さ誇り高さが、かつての自分ディオスに最も近いものである事を見抜き、同時に嫉妬します。自分が失ったものを当たり前に持っているウテナを憎らしく思うのです。

暁生は登場人物中、唯一『大人』のキャラクターです。権力、経済力、社交性…『大人』としての魅力全てを使い周囲の人間を翻弄していきます。

恵まれた容姿と肉体、性的魅力も駆使します。鳳香苗とその母、千唾時子、西園寺や桐生冬芽も例外ではないのでしょう(そうとしか受け取れないシーンがありすぎます)。女も男も大人も子供も見境無しです。半ばヤケクソです。自らに絶望し「世界の果て」になり、妹と夜ごと禁忌を重ねる暁生は堕ちる所まで堕ちきっています。

そして暁生は男尊女卑で女性軽視な思考の持ち主です。「女の子は男に守られるもの」など、度々そう言った発言をしています。また、学園の生徒達を子供であると見下しています。傲慢で尊大な人物です。かつて王子様であったプライドがそうさせるのでしょう。

そんな暁生がウテナに近付き一夜を共にし、彼女を手に入れるのは容易いことでした。かつて幼アンシーがディオスにしたように、純粋で無垢な者を手中にするにはどうすれば良いのか、暁生はよくわかっているのです。

王子様は自分1人でいい。ウテナは”男に守られる女の子”である方が、暁生にとっては都合が良いのです。

 

作中、特に難解なのが「鳳暁生の目的は何だったのか?」という事ですが、これは「もう一度王子様に戻りたかった」のではないかと考えます。壮大な決闘ゲームも、暁生が誇りを取り戻す(奪う)為の舞台でしかなかったのではないでしょうか。

失ったものをもう一度取り戻したい。王子様というアイデンティティを取り戻したい。世界中の人々に求められ純粋で誇り高かった頃の自分に戻りたい。

ウテナと同様に暁生もまた、王子様になりたいという願望を抱いた、王子様に憧れている人物です。

大天使だったルシフェルは、地上に堕とされ悪魔サタンと呼ばれるようになりました。

暁生が躊躇なく人間を利用するのも、王子様を都合良く求めた人間達への復讐なのかもしれません。

 

 

アンシー「ウテナさま、ご存じでしたか?私がずっと、あなたを軽蔑してたってことを。」

暁生に恋をしたウテナは恋の喜びを知ります。

みんなが憧れる素敵な男性を射止めた喜び。優越感もあったかもしれません。それは、過去に幼アンシーが王子様ディオスを「私だけのもの」とした時に感じた想いでもあったかもしれません。

そしてウテナは恋の苦しみも知ります。

ウテナは暁生に恋をした事で、樹璃の「秘めた恋の苦しさ」を知ります。

そしてアンシーと暁生の関係を知る事で、西園寺の「変わらぬ友情を求める苦しさ」、アンシーや七実の「実の兄を愛する苦しさと他の女性への嫉妬」、幹や梢の「相手の変化を許せない苦しさと過去の美しい思い出に囚われる苦しさ」を知ります。

ウテナの正義感は無垢であるからこそでした。今まで「ボクにはわからない」「キミはおかしい」と切り捨ててきた感情、常識や正しさだけでは割り切れない感情を知ってしまいます。

こんなに苦しい想いを抱えながら”純粋さ、正しさ”という剣で打ち倒されるのは、どれほどの事だったか。

自分が裸だと気付いた王様のような気持ちだったかもしれません。

ウテナはもう、純粋なだけの子供ではいられなくなってしまいました。

 

こうして

「暁生・アンシー・ウテナ。誰の立場から誰を見ても、愛してもいるし憎んでもいる」

という愛憎の三角関係が出来上がります。

そして、

「悪い王子様(暁生)に囚われたお姫様(アンシー)を、王子様を目指す女の子(ウテナ)が救う」

という物語構造の裏の面、

「魔女(アンシー)に囚われた「元」王子様(暁生)が、王子様の剣を持つお姫様(ウテナ)を待つ」

という、もうひとつの見方が浮かび上がってきます。

 

 

・姫宮アンシー

「どーもどーも」が口癖、お猿のチュチュが友達で得意料理はかき氷な天然の不思議ちゃん。

そんなイメージだったアンシーの正体が34話の劇中劇「薔薇物語」でとてもわかりやすく明かされます。

王子様を堕落させた諸悪の根元であり、決闘ゲームの共犯者であり、実の兄と寝る魔女。それがアンシーの本当の姿でした。

アンシーは主体性が無い受け身の女性と思われていました。「薔薇の花嫁」という景品のような扱いを受けても「(決闘が)早く終わんないかな」とつぶやき、西園寺に暴力を振るわれようが女生徒に嫌われようが動じなかったのは、意志が無いからではなく、自分の意志で暁生に従っていたからでした。暁生の為なら屈辱にも耐えられたのです。

むしろ自分と兄が仕組んだゲームの登場人物でしか無い周囲の人間を、アンシーはずっと冷めた目で見ていたかもしれません。

アンシー「好きな人の為なら、それ以外の人間の気持ちなんか問題じゃない。自分なんていくらでも誤魔化せますから」

しかしアンシーもまた苦しんでいました。王子様を奪われた世界中の女の子からの嫉妬、近親相姦の禁忌、親友を騙し続ける罪悪感。

ウテナが純粋にアンシーを慕うほどに、暁生がウテナを慕うほどに、決闘中に愛したディオスがウテナの元にだけ現れる度に、アンシーは苦しんでいたのでしょう。

暁生との関係が安らぎであったとも言えません。最終話、アンシーはウテナに「あなたは私が好きだった頃のディオスに似ている」と言っています。『だった』と過去形なのは、現在の暁生と一緒にいる事がアンシーにとっての償いであるという事かもしれません。永い時間の中で、暁生との関係はお互いを慰め合う共依存関係になってしまいました。愛ではなく執着に変わってしまった事を自分でわかっています。

王子様を求めた妹は、その行為の代償として、皮肉にも王子様を失いました。

唯一、自分を掛け値なしに慕ってくれるディオスによく似た人間は、女の子だからアンシーの王子様にはなれません。

魔女になってもアンシーは孤独でした。

 

37話。最後の「世界の果て」からの手紙を手にするウテナに、アンシーは変わらぬ笑顔で語りかけます。

アンシー「ウテナさま。私達、今の関係がずっと続くといいですよね」

『抜け駆けは無しよ』という事です。”暁生に私達どちらかを選ばせるような事をしなければ、どちらも傷つかないで済みますよ”という提案です。

ウテナは手紙を破る事でこれに答えます。アンシーの提案を受け入れ、暁生との関係はお互いに見て見ぬ振りをして、今の関係を続ける事に合意しました。

そしてアンシーの毒入りクッキーとウテナの毒入り紅茶。和やかな会話の水面下でお互いを牽制しあう、背筋も凍る秀逸なシーン。あんなに仲の良かった2人がこんな陰湿な会話を交わす関係になってしまった。視聴者として大変ショッキングなシーンです。どんなに表面を取り繕っても、一度抱いた憎悪や嫉妬は消えないのです。

そんな欺瞞に満ちた関係に耐えきれず身を投げようとするアンシー。対峙するウテナ。長い物語の中、初めてお互いが本当の気持ちを話します。

 

ウテナはずっとアンシーを救いたいと願い闘ってきましたが、その強すぎる正義感のあまり当のアンシー本人の意思には無理解でした。これまでアンシー自身はただの一度も「助けて」などとは言っていないのです。ウテナの行動はお節介で的外れなものでした。むしろ、ウテナの王子様気分を満たす為の道具にしていたとも言えます。

 

アンシーは何も知らなかった無邪気な親友にまで自分と同じ苦しみを背負わせてしまいました。「体はどんなに苛まれても 心なんて痛くならないと思っていたのに。」アンシーは自分の行為に対する報い「王子様を奪われた世界中の女の子達の憎悪による100万本の剣」に貫かれる事には耐えられても、これ以上なんの罪も無いウテナを巻き込む事には耐えられません。罪から逃れる為に学園にこもっても、自らの心に生まれた罪悪感からは逃れられないのです。

お互いは親友であり憎い恋敵になってしまった。愛してもいるし、憎んでもいる。

時間のほぼ止まったこの学園の中ではこの先ずっと、永遠にこの地獄の三角関係が続いていく。お互いへの憎しみを抱いたまま10年後も笑ってお茶なんか飲めるはずもない。

 

ウテナは世界を革命するしかありません。初めて自分自身の為に最後の決闘に挑みます。

 

 

 

最終決戦

ウテナ「ボクが王子様になるって事だろ!」

最後のデュエリストとなり暁生と対峙するウテナ。当然「世界の果て」が鳳暁生である事はもうわかっています。

ウテナは全てを仕組んだ黒幕である暁生を責めますが、逆に説き伏せられてしまいます。人は誰でも後ろ暗いものを抱えている。婚約者がいる事を知りながら暁生と関係を持ってしまったウテナは、もう一方的な正義感だけで他人を責める資格など無い事を知っています(そう仕向けたのも暁生ですが)。

暁生はさかんに「お姫様は王子様に守られていればいいのさ」と誘惑します。戦わずしてウテナの持つ「王子様の剣」を奪い、ウテナをお姫様として2人で永遠を手に入れる。暁生は王子様としての誇りを取り戻せる。王子様にはお姫様が必要。自身が王子様でありさえすれば、お姫様はアンシーとウテナ、この際どちらでも構わない。

暁生「俺が選ぶのは、君さ」

剣を引き抜かれ白いドレスに包まれるウテナ

しかし傍には花嫁のドレスを剥奪されぐったりとうなだれるアンシー。暁生とウテナが永遠を手に入れたら彼女はどうなってしまうのか?

ウテナはニセ王子の誘惑を振り切り、自分が王子様になりアンシーを解放する事を宣言します。ニセ王子への宣戦布告です。

しかしそんなウテナをアンシーは無情にも背後から剣で貫きます。アンシーにとっての王子様はウテナではなく、暁生でした。

暁生はアンシーから託されたウテナの剣で薔薇の門を打ち付けますが、扉は開きません。ついには折れてしまいます。ウテナほどの剣を持ってしても扉は開かなかった。計画は失敗だとばかりに早々に諦めたニセ王子は呑気にトロピカルジュースを飲み始めます。

一方、傷付いたウテナの元に現れるディオス。ウテナを労い、慰めのキスをします。ウテナは再び立ち上がり、扉へ向かって歩き出します。

扉にすがるウテナを冷めた目で見つめる暁生。しかし扉が棺に変わっている事に気付きうろたえます。

この突如現れた「棺」は何なのでしょうか?

これは、かつて王子様が「ディオス」と「暁生」に分離したように、アンシーもまた「魔女」と「ただの人間」に分離し棺の中で眠っていたのではないかと考えます(棺はかつて幼いウテナとアンシーが出会った時と同じ薔薇のような装飾(?)がある)。そしてウテナがアンシーを救いたいと流した涙が、ウテナの「本物の王子様からの指輪」と反応しその棺を出現させたのではないでしょうか。

その様子を見届け去るディオス(目的を遂げた?)。

ボロボロのウテナは目覚めたアンシーに手を伸ばします。ウテナはアンシーに拒絶されても、自分がお姫様になって暁生と永遠を手に入れるという可能性を捨てても、初めてアンシーと出会った時に誓った「アンシーを助ける」という本来の願いを貫きました。ウテナは誇りを失いませんでした。

しかし繋がりかけた手は離れ、アンシーは落下します。アンシーを救えず、ただの王子様ゴッコで終わってしまった事を悔やむウテナを百万本の剣が襲います。

革命は失敗しました。

 

 

 

 

七実「こんな事、早く忘れた方がいいのよ」

樹璃の姉を助けようとして死んだ少年の話は、生徒会のメンバーがいずれウテナを忘れてしまう事を示唆しています。

人が命をかけて他人を救う誇り高い姿を見て、一時は心を打たれても、真に心に届かなければ救済とはならないのです。彼らは結果的には変化を拒み、自分のエゴを選びました。樹璃が瑠果の献身を無視したように。

この学園で生きていく以上、革命を起こそうとした人間のことなど忘れたほうがいい。ウテナの事も決闘の事も忘れ、やがて「自分もかつて変わりたいと願い闘った」という事すら忘れていくのかもしれない。

そんな後ろめたい予感にそれぞれが表情を曇らせたのではないでしょうか(現に最終決戦後、生徒は既にウテナを忘れています)。

ウテナの行動は、自らの願望や執着に囚われている彼等の心には届きませんでした。ウテナ消失後の生徒会は役割などに多少の変化はあるものの、物語初期と比べ大きな変化はありません。つまり成長していないのです。

あんなに見た目も精神も成熟したキャラクターだらけなのに、暁生も含めてあの学園にいる限り誰も「大人」にはなれないのです。

 

 

 アンシー「でも、私は行かなきゃ」

しかし「意識の転換」という方法で学園から脱出する、という革命もあることをラストシーンのアンシーが示しています。 

 

ウテナ「姫宮、君は知らないんだ」「君と一緒にいる事でボクがどれだけ幸せだったか…!」

 

ウテナは棺の中で眠っていた「素」のままのアンシーを見つけ、一緒にいたいと求めました。何者でもない、ただの「姫宮アンシー」と過ごした日々が、ウテナにとって何よりも幸せだったのです。

「王子様」「お姫様」「魔女」…そんな肩書きや役割はもう必要ありません。アンシーはもう暁夫を王子様たらしめる為の”お姫様アンシーの役”も、決闘のトロフィーとしての”薔薇の花嫁アンシーの役”も、王子様を堕落させた贖罪としての”魔女アンシーの役”にも囚われる必要は無いのです。

 ウテナはアンシーの王子様にはなれなかったけれど、アンシーが自分自身の意志で暁生への執着を断ち切るきっかけになれました。

ウテナの献身は無駄ではありませんでした。アンシーの心に届いたのです。

 

 

 

繰り返しになりますが、望んだものを手に入れるかどうかは本人の意思次第です。他人がどれだけお膳立てをしても、手を伸ばし受け取る行動は本人にしかできないのです。

 

 

 

 

・革命と本懐

どんな人でも、生きていく上では挫折や痛みを経験して成長します。

卵の殻を破らねば、雛鳥は産まれず死んでいく。

自分の世界、価値観を変えなければ子供はいつまでも子供のまま。

この学園の中では、アンシーとウテナの夢は叶いませんでした。

妹は兄と結ばれなかったし、女の子は王子様にはなれなかった。

しかし誰でも大人にはなれます。

大人とは、夢と現実の分別が付く人です。執着は手放すことで解放され、目を醒ませば夢は終わります。

ウテナとアンシーは挫折を経験し痛みを乗り越え、幼い頃の憧れを潔く脱ぎ捨てました。

学園という『夢の世界』を後にして、薔薇の門ではなく学園の門をくぐりアンシーが行く先は『現実』です。

この学園の中では叶わなかった夢も、外の世界なら叶うかもしれない。子供ではなく大人になれば、出来る事が増えるかもしれない。

現実という可能性の世界へ。まずは「ウテナと再会する」という実現可能な夢を叶える為に、アンシーは生まれ変わります。

あやふやな夢の世界で得体の知れない奇跡を望むのではなく、

現実の世界で変化を乗り越え自力で夢を実現するために。

王子様を求め誰かに依存して生きるのでは無く、自分自身の為の輝いた人生を生きるために。

意識の転換に成功し、ふたりは『夢見る少女』から自立した『大人』になります。

 

少女という殻を破り、大人になるための革命を遂げたのです。

 

 

 

 

ビーパパス(Bepapas)は幾原邦彦がオリジナル作品制作のために作ったチームで、その名前は「大人になろう」の意。

wikiより

 

 

 

 

 そしてさりげなく影絵少女A子も脱出しかけています

「女優ゴッコの演劇部活動」から「実際にオーディションを受ける」という『夢を実現する』ために行動を起こしています(しかし悪い大人による出来レース=ズルだった為、叶う事なく学園にいるのかもしれません)

 

 

 

その2 キャラ考察編 〜樹璃/瑠果、冬芽〜

その3 キャラ考察編 〜幹/梢、七実〜

 ウテナ考察:「棺」について

雑感:20年経って考える「少女革命ウテナ」

 

 

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