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考察:20年経って考える「少女革命ウテナ」その2

 

本編考察はこちら
omotidaisuki.hatenablog.com

 

 

 

キャラクター考察編

ウテナとアンシーを取り巻く登場人物たちは、それぞれが鏡のように相対する葛藤を持っていると考えます。ここでそれぞれのキャラを考えていきたいと思います。

 

有栖川樹璃土屋瑠果

有栖川樹璃「奇跡なんて無いんだよ!」

基本的に樹璃の決闘へのモチベーションは他のデュエリストとは異なります。

デュエリスト達が「現状を変える為に奇跡の力が欲しい」と願う事に対し、樹璃は「奇跡を否定したい」という動機でウテナとの最初の決闘に挑んでいます。

そしてウテナとの決闘、圧倒的に優勢でありながらも跳ね上げたウテナの剣が樹璃の胸のバラに突き刺さるという、まさに奇跡のような敗北を喫しますが、奇跡が実際に有るか無いかという事には最後まで懐疑的なままでした。

樹璃にとっての奇跡とは何でしょうか?

 

「奇跡を信じて、想いは届くと」

 

樹璃の想い人、枝織の言葉です。枝織がどういう意図でこの言葉を発したのかは謎ですが、樹璃にとっては重要なのでしょう、繰り返し登場します。

この言葉通り樹璃にとっての奇跡とは想いが届く事、「両想いになること」と考えていいでしょう。

 

瑠果「奇跡の力が欲しいのは君だろう」

フェンシング部の部長、土屋瑠果の登場で樹璃の物語は大きく動きます。

彼は療養の為の休学から学園に復帰して早々、樹璃を挑発するかのように枝織に近付き、枝織をパートナーとしウテナとの決闘に挑みます。

この時点での瑠果の目的は二つでしょう。

1つめは、枝織がいかにズルい人間かを暴くこと。

2つめは、決闘の必勝法を見極めること。

この決闘で瑠果はウテナの剣の力量を見定め、傍で祈るアンシーを見て「なるほど」と呟きます。そして敗北後、次こそ勝とうと言う枝織に対し

「何度やっても同じだ。負けたのは花嫁のせいでもある」

と言い放ちます。

 

物語中盤から、デュエリストはそれぞれのキャラクターに縁のある人物を花嫁として伴う形式になります(以下「パートナー制度」)。

このパートナーの役割は何でしょうか?アンシーと枝織、二人の花嫁の違いとは?

 

それは「決闘者を真に想っているか」という違いではないでしょうか。

 

学園での人気ぶりを見て瑠果に近付き、とっさに「瑠果の剣を磨いていた」と嘘をつける枝織は瑠果を真に愛していたとは疑わしい。瑠果と付き合う事で優越感を感じたかったという所でしょう。瑠果ははじめから枝織のズル賢さを見抜いていました。

パートナー制度での勝利の秘訣は、デュエリストの剣(信念)と力量、それに加えてパートナーの祈り()。これらが揃うことであると瑠果は考えたのではないでしょうか。

以上を踏まえての

 

瑠果「君の潜在能力は天上ウテナを上回る。君の能力を引き出せるのはこの僕だ。君と僕が組めば天上ウテナを倒せる」

 

このセリフです。「自分の愛で君を勝たせてあげる」と言っているんです。しびれます。

そんな愛の告白とは露とも知らない樹璃は決闘へ向かう事を約束し、暁生カーに乗り『永遠』を見ます。

 そして挑んだ2度目の決闘。勝利を目前にしながらも、胸のペンダントが砕けた事に樹璃は動揺し、自ら胸のバラを捨て、またしても敗北しました。

ラスト、怪我をした後輩を連れ訪れた病院で看護師たちの噂話を聞いてしまう樹里。内容からして「亡くなった男の子」が瑠果であること、その想い人が樹璃であることは明らかです。

しかし病院を去るシーンの樹璃の独白は「願わくば、貴方の想いが届きますように」という他人事のようなものでした。

樹璃は瑠果の気持ちに気付かない振りをしました。瑠果の献身を無視したのです

そして樹璃に走り寄る枝織。おそらく、樹璃と枝織は以前と変わらない関係のままこの先も続いていくのでしょう。

 

  • 樹璃は何を望んだのか?

樹璃の行動を振り返ってみます。

樹璃は枝織に近付く瑠果を批難しておきながら、2人が別れた途端「よりを戻せ」と迫ります。一貫していません。2人の仲を祝福も出来なければ、自分が報われる事も望んでいない。

樹璃が望んだのは「現状維持」でした。

 

「今の関係が壊れるのが怖いから」「幸せを手に入れるのが怖いから」「”奇跡の力”なんてもので相手の気持ちを振り向かせるのは卑怯な事だから」「想いが成就し同性愛という関係になるのが怖いから」「辛い恋をしてる現状が好きだから」…

様々な憶測ができますが真相は謎です。ただ、彼女は『奇跡』を望まなかった。想いが枝織に届く『奇跡』を自ら否定し、苦しい片思いの道を選んだ。それは確かです。

 

前記事でデュエリスト達の葛藤を「執着」と表現しました。「執着」という言葉には様々な意味がありますが、その一つは「苦しい状況であっても動こうとはせず、自らの意思でその状況に留まろうとする事」ではないか、と考えます。

自らの手で胸の薔薇を放棄した樹璃というキャラクターは、デュエリスト達の葛藤を特に明確に現しているのではないかと考えます。

 

瑠果「樹璃、心配無い。心配無いよ、樹璃」  

樹璃は「奇跡を信じて」という枝織の言葉を信じず「奇跡なんて無い」という自分の信念を貫きました。

これは樹璃自身が選んだ事なのだから、問題無い。

だから「心配無い」のです。

 

 

 

 瑠果「秘めた想いかどんなに辛いものなんだろうな」

 瑠果は樹璃を愛していましたが、物語の最後に看護師の噂話で語られるのみで、本人が気持ちを口にする事はありませんでした。枝織や樹璃を振り回すような行動は全て樹璃を挑発する為、樹璃に本気で奇跡を望んで貰う為には手段を厭わなかったのです。

 

「自分の想いが相手に届かなくても構わない」というスタンスは樹璃と瑠果、2人に共通しています。違っていたのは「自分が身を引いても相手の幸せを尊重できるか」という部分でした。

 

「そういえばあの子よく言ってたわ 『愛する人に奇跡の力をあげたい』って

『あの人を解放してあげたい』って」

 

瑠果には『自分が決闘に勝利し樹璃と永遠を手に入れる』という可能性もありました。自分の命が残りわずかである事を知っていたとしたら、なおさら樹璃との永遠を望んでもおかしくはなかったはず。

にも関わらず、瑠果は一貫して樹璃の勝利の為に余命を尽くしました。自分の樹璃への想いよりも、樹璃の枝織への想いを尊重したのです

 

これはウテナが暁生と永遠を手に入れる可能性を捨て、自分の全てを投げ出してアンシーを救う道を選んだ献身・自己犠牲の精神と似ていると考えます。

そして、執着を捨てる事が出来なかった樹璃は、ウテナの献身から気付きを得る事が出来なかった場合のアンシーの姿ではないでしょうか。

 

瑠果は「目的の為なら手段を選ばず他人ですら利用する」という点が暁生と類似しています。

しかしその目的が、暁生は自分の為でしかない利己的なものであった事に対し、瑠果の目的は樹璃の願いを叶える為という利他的なものだったという点が決定的に異なっています。

 

 

 

桐生冬芽

 「友情を信じるなんて馬鹿だ」

 

デュエリストの中で、冬芽だけは完璧であるゆえに奇跡への執着が薄く、世界を革命する力=現状を変える事 を必要としない人物である事を前記事で書きました。

完璧である彼は何かを望む理由が無く、過去2回までのウテナとの決闘も「世界の果て」からの指示に従ったものであり、自分の意思ではありませんでした。

冬芽はいつも余裕綽々としていて動じません。自分が永遠を必要としない余裕からか、常に全体を一段上から見ているような節がありました。

 

しかし鳳暁生の登場で彼のアイデンティティが揺らぎます。

 

暁生と冬芽はよく似ています。プレイボーイで気障でカリスマ性に溢れ、自信家で、自分以外の人物を見下す尊大さも同じです。違っているのは、暁生は冬芽の「生徒会長」という地位を上回る「理事長」である事です。

そして決定的に違うのは、暁生は「大人」であるという事です。

言わば、暁生は冬芽の上位互換なのです。

 

暁生の登場から冬芽の様子がおかしくなり登場がめっきり減ったのは、ウテナに敗北した事に加えて学園の真実を見せられた2重のショックからではないか、という推測を「その1」に書きましたが、それに加え冬芽の廃人化は暁生の存在自体にショックを受けた面もあったのではないかと考えます。

完璧であったはずの自分の前に、更に完璧な人間が現れた事は、プライドの高い冬芽にとって相当なショックだったはずです。

 

 冬芽は学園の仕組み、決闘システムの仕組み、暁生とアンシーの目的を知ります。そしてウテナがかつての棺の少女だった事、永遠をあげたいと考えた事を思い出します。

このままいけばウテナは暁生のものになり二人は永遠になってしまう。

暁生ではなく自分が、死を恐れた女の子に永遠を見せてあげたい。

世界の果てと魔女の策略からウテナを救う王子様になりたい。

暁生のような王子様になるために暁生のような力が欲しい、変わりたい。

全てをナメきっていた冬芽がはじめて「変わりたい」と願います。

 

「プレイボーイの生徒会長、桐生冬芽か… プレイボーイとは古いな」

 

プレイボーイは古い。これからはウテナ一筋だ。

冬芽は暁生に対抗するべくウテナを本気で口説き出します。

しかし「王子様には馬がつきもの」とばかりに乗馬に誘っても、わざとらしく白馬に乗った暁生に良い所を持っていかれてしまいます。夜の決闘広場に誘い星を見ながら甘いセリフを囁いてみたりもします。

ウテナは警戒していましたが、あの時点の冬芽は純粋にウテナを愛していたのではないかと考えます。 

 

冬芽の敗因は何だったのでしょうか。

一つは「戦う相手が悪かった」事。

この場合の冬芽の「戦う相手」とは決闘相手のウテナではなく、暁生です。ウテナへのプレゼントをわざわざ冬芽に選ばせ渡させるというエピソードに示されるように、この回では暗にウテナをめぐって冬芽と暁生が対決しています。

冬芽が完璧だったのは暁生が現れる以前までの事でした。暁生という自分の上位互換の存在、「大人」という未知の存在を前に自分を見失わずにいる為に、彼は『対抗』ではなく『恭順』を選んだのです。この時点で勝負は決まっていたと言えます。

 

その後、冬芽は暁生カーにそっくりな真っ赤なクラシックバイクで夜の道路を疾走します。サイドカーに西園寺を伴って。

車の免許が無いからバイクで行こうと思ったのでしょう。

 

王子様といえば馬。豪華なクラシックカーの代わりにバイク。女の子を口説く時に星を見る。

意識的か無意識か、全てが暁生の真似になっています。

 

「俺もあの人のようになりたいんだ あの人のような力が欲しい」

 

冬芽はかつて王子様であった暁生に憧れるあまり、自分のアイデンティティ、オリジナリティを見失ってしまいました。

 

 

二つ目の敗因は、パートナーとした西園寺との友情を信じられなかった事。

決闘時に花嫁を伴うパートナー制度になってからは、パートナーとデュエリストの気持ちが揃う事が勝敗に大きく関わるのではないか、という仮説を書きました。(瑠果回参照)

冬芽のパートナーは西園寺です。西園寺は冬芽との永遠に続く友情を信じているので、冬芽に対して最も想いの強い人物であり、最適な人選だったはずです。西園寺の想いに偽りが無かったと考えると、敗因は冬芽にあります。

 

敗北後、最終決戦に向かうウテナを決闘広場への道で待ち伏せた西園寺と冬芽。冬芽はウテナ「友情を信じる奴は、馬鹿だぜ」と言っています。

 

西園寺「本気で人を愛したことなど無く、人は利用するものとしか思っていない

それが貴様という男だ」

 

かつての西園寺の言葉通り、冬芽は本気で西園寺を信じる事ができなかったのです。冬芽は最後まで変われませんでした。

 

三つ目の敗因は、本気になるのが遅かった事。

冬芽とウテナの出会いは過去にウテナが棺に入っていた時、つまりディオスに出会った時と同時期です。その時冬芽は「この女の子に『永遠』を見せてあげたい」と考えています。

冬芽はスタート地点ではウテナに対し純粋な想いを抱いていました。そして初期のウテナは冬芽をディオスではないかと考えています。

 

「その『王子様』ってのは、俺みたいなヤツじゃなかったかい?」

 

この口説き文句を押し通していたらどうだったか。

つまり少々強引ではありますが、暁生が不在であるうちに自分こそがウテナの王子様だ、一緒に永遠を見よう、ウテナをそそのかしてしまうという道もありました。

思い出の王子様にすげ変わることで、冬芽にもワンチャンあったかもしれないのです。

しかし暁生に頼まれたプレゼントを渡そうと話しかけるシーン。

冬芽に塩対応だったウテナは、暁生の名前を聞くと露骨に態度を変えるのです。冬芽からのプレゼントは受け取らず、暁生からだと聞くと喜んで受け取ります。

ウテナの気持ちが完全に暁生に向いてることを、冬芽はまざまざと見せつけられます。

 

冬芽はかつて「棺の女の子に永遠を見せたい」と純粋に願ったことを忘れて、多数の女の子にかまけていました。

冬芽はディオスの言うところの「気高さ」を長く失っていました。そうして気付いた時には本物の王子様が登場していて、もう冬芽の付け入る隙は無くなってしまいました。

全ては遅すぎました。

 

桐生冬芽は「王子様に憧れ、王子様になれなかった」という点ウテナ、暁生と類似するキャラクターです。

そして「人を惹きつけ愛されるカリスマ性を持ちながらも、誠実に人を愛することができない」という点が鳳暁生と類似しています。

 

ウテナと暁生が学園の庭でひなげしの花言葉を語るシーンがあります。筆者もひなげしの花言葉を調べましたが、複数あったり色によって違ったりするのでよくわかりませんでした。

ですが冬芽がメインの回であること、暁生の語る項羽のエピソードから、「別れの悲しみ」ではないかと考えます。

暁生は冬芽の敗北をあらかじめわかっていました。

 

 

★「その3」へ続く